Songs

hyoushiのコピー.psd







                        about_bot.jpgmusic_bot.jpgomoi_bot.jpgzadan_bot.jpglive_bot.jpglink_bt.jpg


抜粋詞.jpg

収録された12曲に寄せる想い By Salt

「風のメロジア」Salt&Uribossaに収録された12曲は、すべて2008年に作られている。
どの曲も、生まれてくる必然性があってかたちになったものだと思っている。

音源になったものが全てであって、それ以外の注釈なんて本当は要らないのかも知れないが
作り手としての想いを汲んでいただけたら幸いである。


1. Esteja perto de Mim

「カンボジア子どもの家」代表の栗本英世さんとの付き合いは、もうずいぶん長くなる。
一緒にいくつものイベントを開催した。彼を通して、カンボジアにおける人身売買や
臓器移植の話を聞かされて大きな衝撃を受けた。(「映画「闇の子供たち」はこの問題について取り上げている)

カンボジアに必要なのは物やお金ではなく教育だと言う。彼は企業や団体に頼らず、あくまでも個人の力で
継続できる支援を呼びかけ続ける。そして、現地の人が自ら立ち上がる力を持てるようにひたすら学校を作るのだ。

栗本さんは言う。「困っている人を簡単に助けちゃいけない。ボランティア活動が助ける側の人の
自己満足になってはいけない。その人のことを本当に大事に思うなら、ただそばにいてあげて欲しい。
そして一緒に涙を流して欲しい」と。

私はそのことばにリアリティーを感じ、この曲を作った。あえて軽く聴き流せるラブソングにした。
「Esteja pert de Mim」は、「そばにいてほしい」の意味。そばにいてほしい相手は誰でもいいわけじゃない。
どこの誰かもわからない相手からお金や物が届くだけというのは、「愛」とは関係がないように思うのだ。
「愛するということは、その対象に対して何らかのリスクを負うこと」だからだ。

かといって、誰かに何かを説いて聴かせる気はない。そんな歌じゃない。その人なりのラブソングとして
聴いてもらえたらそれでいい。気持ちよく聴いていただければ十分。


2. あなたに逢いたくて

 「揺れる女心を歌うこと」には昔から興味がある。

演歌には「耐えます」「偲びます」という継続的な悲しいあり方を歌うものが多いけれど、
そういう粘っこい歌ではなく、もうちょっとスピード感があり、ドキドキワクワクするような
心の動きを「さらり」と歌いたかった。

イントロなしで始まるのも、途中のポルトガル語の歌詞もそうした効果は上げていると思う。
出来れば、本当は若くて可愛い女性に歌ってもらいたい。

実は、福岡在住のある女性のために作った曲。(特に私と深い関係にあるわけではありませんが・・・)


3. Sorri

人を励ます柄ではないけど、ライブに来てくれた方が、「癒されました」「元気が出ました」と
言ってくださることは少なくない。こういう感想をいただくと、とても励みになる。

聴いてくれる方がおられなくても、自分ひとりでギターを弾いたり歌ったりしていると、
気持ちが落ち着いたり、すっきりしたりすることがよくある。やさしい表現を作ることで、心まで変わっていく。

世の中はますます暗くなっても、明日を信じて微笑んでみるという姿勢は大切だと思っている。
子どもに笑顔が似合うように、もっと笑顔が似合う大人がいてもいい。

微妙な半音の動きやUribossa氏とヴォーカルで絡むところは、なかなか気持ちいい。
それにしても、地味なサビである。これも狙いどおりではあるが、果たして皆さんはどう思われるのだろう。


4. 100年後

最近はキャンドルナイトと称して、夏至の日にキャンドルを灯して地球環境やエネルギー問題に
ついて考えるイベントが各地で行われているようだ。

この曲は、2008年に天理市のキャンドルナイトに招かれたときに準備した曲。

 「100年後」というタイトルとメッセージの中心は、今回ジャケット写真を担当してくれたY.B.M氏が、
本業のオーダーメイド家具で「100年先まで残る耐久性と、100年間愛され続けるデザインを目指して
製作していきたい」という思いを熱く語ってくれたことばがきっかけとなった。

ミレニアムの年の年始の挨拶に、私は「次の100年もよろしく」というカードを作ったこともあり、
「100年後」ということばの持つイメージが私を捕らえて、すぐに曲が完成した。

ギター2本が上手く絡んで、雰囲気を作っていると思う。劇的な間奏でもいれたら盛り上がっただろうけれど、
キャンドルなんで、あんまり盛り上がらないで慎ましい表現にしようと考えた。


5. Makani

Uribossa氏が、はじめてこの曲を聴かせてくれたとき、穏やかな潮風に吹かれている様な気分になった。
このやさしい曲調には特別な事情がある。

実は、ハワイアンをやっていた友人の突然の死を悼んで作られたものなのだ。歌詞にはさりげなく、
残された2人の子どもさんの名前が取り入れられている。

私は、控えめながらも、しっかり曲の輪郭を際立たせ、奥行きを与えるようなコーラスとギターを入れようと
努めた。ラストのMakaniというリフレインに向かって、自然に静かに盛り上がっていくようになっている。

Makaniは、ハワイのことばで、「風」の意味。とても美しい響きのことばだ。潮の香りや、大地のぬくもりを
感じるようなバチーダが印象的だ。


6. Chamada de amor

携帯する物なら、傘やラジオやいろんなものがあると思うが、今や「ケータイ」といえば携帯電話を
指すようになり、その機能は電話に留まらず、多機能化、高機能化が進み、現代においては生活必需品と
なっている。

ケータイの使用者も若年化が進み、依存度は高まり、コミュニケーションを便利にするためのグッズが、
逆にそれを阻害しているという問題点も指摘されるようになった。

若者はケータイを電話として使うことはあまりない。相手と直接話すより、メールを使用する頻度が
圧倒的に高い。メールと電話を比べると、メールには同時性がなく、電話に比べ双方向性が低い。

私は、電話は得意ではないが、メールはもっと苦手だ。この曲は、たとえ沈黙であっても、それを同時に
共有することによって確かに通じる何かを伝えたかった。
「もどかしさ」であっても、「ぎこちなさ」であっても、それは、受話器の向こう側に、
「今この瞬間」にリアルに相手がいることを感じるからこそ生まれるのだと思う。

電話で会話しているような曲を通して、ことばの「もどかしさ」や「ぎこちなさ」と、
根底にある「愛する人への想い」を表現したかった。


7.

娘が公立高校の受験に失敗したとき、ありきたりの慰めのことばではなく、歌をプレゼントしようと思った。
そんなことを思い立ったちょうどその日、夕方から夜にかけて雨が降り、次の朝、見事に気持ちよくスカッと
晴れたのだ。

正直に書くと、この歌を書いている時に「虹」は見なかった。この曲のイメージの源泉になっているのは、
数年前、富山での演奏を控えた午後、立山連峰を背景に見た物凄く大きな丸い虹である。

Uirbossa氏は、演奏上のこだわりから、同じコードでベース音を変化させる弾き方はこれまでにあえて
避けていたようだが、この「虹」では、雨に洗われた街を歩く少女の足どりをイメージしてプレイしてくれている。

キーは少し低めで始めて、「悲しいことなんか何もなかったように」以降のフレーズが、自然に耳に入って
くるように意図した。

ちなみに、「虹」は、旧約聖書・創世記によると、ノアの洪水の後、「再び洪水で滅ぼされることはない」という
契約のしるしである。


8. Voce ~君の声~

人は時々立ち止まり、「これで良かったのか」「これからどうするべきなのか」と自分自身に問いかける。
そんなとき、過去の自分が、自分を励ましてくれたり、慰めてくれたりもする。過ぎて来た難所を
何度も乗り越えて来た私が、歩調を乱した現在の私に力をくれるのだ。

Voceは、ラブソングではなく、そんな自分との対話の歌であることをきちんと確認出来たのは録音が
終わってからのことだ。

ヴォーカルとギターが、対話のように響き合ってくれることを願った。いろんなハモリのパターンも考えたが、
ふたりで同時に出せる音にこだわって、現在のかたちにした。ギターが中心でハモリは最小限にした。

「ボサノヴァは引き算の音楽だ」としみじみ感じる。

「あの頃の君」に顔向け出来ない明日を迎えてはならない。いつまでも透き通る瞳で世界を見つめていたい。
右肩上がりを志すS&Uの隠れたテーマソングでもある。


9. 肩寄せ合えば

ラブソングが若者だけのものである必要はないし、道ならぬ恋の葛藤を歌うものでなくてもいい。

この曲の歌詞の半分は、実は18のときに書いたものだ。(「聞き手の無い対話」という詩集に収められている。)

数年前にこのモチーフを膨らませてカントリー調の曲を付けてライブでも演奏してみたが、イマイチしっくり
こなかった。
そこで、今回のレコーディングのために、全く新しいメロディーをのせて、ボサノヴァで作り直しいうわけだ。

曲は何度も書き直したが、歌われている女性は同一人物。平たく言えば、18の時の恋人と結婚したわけである。


10. Dois Mapas

Dois Mapasはポルトガル語で「2枚の地図」という意味。
東京に同名のボッサユニットがあり、彼らと出逢ってインスパイアされた曲。

大人になると、いろいろや役割や責任を負い、いつの間にか、一番大事なものを心の奥にしまいこんだり、
忘れ去ったりしてしまうもの。

でも、もう一度自分だけの宝の地図を広げて、失敗したり傷ついたりすることを恐れないでチャレンジしてみよう
というテーマで、かつて少年だった人たちの応援歌として作った。

間奏は、ボサノヴァらしからぬ、ちょっとオールド・ファッションなイメージで、ギターを弾いてみた。
Uribossa氏とのヴォーカルの掛け合いが心地よい。


11. いのち奏でて

子どもたちのためにけっこういろんな曲を書いてきた。ここ数年は、なぜか幼稚園からの依頼が多くなり、
3~5歳以下の子供たちが、私の作った歌を歌ってくれるという幸せな経験をさせてもらった。

それこそ口伝えで私の歌を覚えて歌ってくれる様子は、まさに音楽の原初的光景である。
あどけない笑顔と歌声。本当にほほえましく、かわいくて仕方がない。どうしてこんな子どもたちを傷つけたり、
殺したりするような人間が生まれてくるのだろう・・・という気持ちになる。

しかし、そんなとんでもない親や凶悪犯も、子どもの頃は、この中のひとりのような無垢な時代を過ごして
きたはず。それが何らかの不幸な出会いやボタンの掛け違いで、罪を犯すようになったのだろう。

幼子というのは、幸せの極意を知っている。キーワードは「いのちを奏でる」ことだ。
幸せはとは何だろうと考え始めるとき、不幸が始まるのかも知れない。そんなことを思いながら作った曲。

キーワードは、「いのちを奏でること」かな。


12. 風のメロジア

タイトルナンバーで、アルバムのコンセプトを集約した曲。

音符を小手先でひねくりまわすのではなく、自然なうたを紡ぎたい。そういう願いで、
「風のメロジア(メロディ)聴き取って歌え」「波のヒトゥモ(リズム)聴き取って歌え」を歌い出しにした。

「神さま」という単語は、歌にすると重すぎるし、時として滑稽でむしろ冒涜にさえ聴こえる時がある。

それでもここは、「神さまの音楽」「神さまの痛み」「神さまの愛」ということばしかないと思った。
風や波、そして音楽や幸福は、「単なる現象」ではないと信じている。

一人の人間の力は弱い。私には大したことは何も出来ない。ささやかな歌を歌うくらいの力しかない。
でも、その歌を通して、自分が生かされている喜びや生き抜く辛さ、そして人の幸せや平和への想いを
伝えたい。心からそう願っている。